2008年4月11日〜4月20日
                    フランス縦断の旅メモ

4/11(金) セントレア空港10時30分発(12時間で)→パリ ドゴール空港(1時間10分で)→ミラノ マルペンサ空港
        →ミラノ泊(日本時なら朝方3時にベッドに入る)結局、日本出発から合計15時間かかった。
       イタリアのミラノに一旦出国しててから再入国することになる。
4/12() ミラノから発南西の地中海方面に出発(以後の行動は総てバス移動)  
       340kmで→モナコ公国8km→エズ10km→ニース泊。   悲しいことに、いきなり一眼レフが壊れる
4/13() ニース発176km→エクスプロバンス地方40km→マルセイユ泊 
4/14(月) マルセイユ発90km→アルル地方65km→ポンデュガール→アヴィニヨンの橋230km→リヨン泊
4/15(火) リヨン発380km→ブルージュ115km→ジュノンソウ38kmー→トウール泊
4/16(水) トウール発230km→モン・サンミッシェル56km→サン・マロ泊
4/17(木) サン・マロ発230km→オン・フルール92km→ルーアン149km→やっとパリで2連泊(一番いいホテルでした)
4/18(金) パリ市内観光、 ノートルダム寺院、ルーブル博物館、ベルサイユ宮殿、夜間セーヌ川クルージング
4/19(土) オプショナルツアーの日。 (半日だけ自由時間で、地下鉄で24駅のエッフェル塔に登る)
       PM パリ空港からJAL直行便でシベリヤ径由、日本に飛行、自転の関係で行きより1.5時間早く着く
4/20() セントレア空港に11時半 無事到着。

   
 @ 長時間故障もせず飛んでくれた JAL遠距離型機

いつも思うが、パリまで数百トンの重量を12時間も連続飛行するエンジンって本当に素晴らしい。 片側のエンジンが止まっても近くの空港まではたどりつけるらしい。
どこにタンクローリー車1台分の燃料積んでるの?
        A 飛び立った海上空港セントレア 
 
愛知万博に間に合わせ、突貫工事で海上を埋め立てて作られた海上空港、まだ滑走路は一本です。
アクセスは各地からバスか、対岸の三重県からはフェリーで島まで。
JRか名鉄で名古屋駅から特急で40分。
 でも、早朝集合は前泊されるようです。
        B 4月に冠雪のシベリアの山
 
巡航高度は10kmで外気は-65度、12時間程掛りるが、エンジンの排気熱を機体に循環させ凍結から守ります。
下界はまだ真冬の様子で、この年の北極海は凍結していました。 

         Cバルト海の島々

この辺からドゴール空港まで2時間余り、瀬戸内海みたいな箱庭風景が続き、コペンハーゲン付近を通過しますが、私が大好きな景色です。

間もなく最後の慌ただしい夕食?が出されますが、8時間の時差で感覚がおかしくなっています。
                C-1 パリ空港  
                      
フランスに着いたのに、何故かエールフランスのイタリア ミラノ行きに乗り換える。 乗換時は3時間待ちなんてザラですが、今回は珍しく1時間半待ちで、しかも時間通りに搭乗出来たが其の後が大変・・・。
機内は相席で、連絡便の遅着で待機すること1時間。 遅れて来たのは日本の人ツアー達。 明るい熟年フランス人?の美人スッチーと隣席のイタリア独身?女性とつたない言葉で必死に親善?。
彼女は東京のソニービルでの会議からの帰りとかで、 いきなりPCを取り出し、日報らしきものを作成したら機内から送信、禁止事項のはずだがスツチーも片目をつぶっていた。  親切な彼女は鞄から案内書を取り出し、モンサンミッシェルは是非行けと。なんでも城とミラノとイタリヤの何処とかが一直線上にあるとか。
だからそれがどうしたというの?。
            Dミラノの路面電車

別ルートの日本からの客はニースの飛行場に直行グループもいたが会社の経済的な都合だけ?。
ミラノは3度目ですが、渋い街の雰囲気でクラシックな路面電車が走行居ていました。
ホテルからバスでフランスに再入国するらしい。
        E北イタリアを南西方向に進行。

最初の観光地モナコまでの地中海沿岸の風景は思ったよなりな急峻地形でアップウンが激しい。
 きれいな川の風景は日本に似ていました。

           F見えてきた地中海沿岸都市
                     
 この辺でカメラが故障してシャッターが止まりませ ん。以後の画像はサブのパナソニックのコンパクトカメラで撮影しましたので、これからは画像が悪いと思います。 
でも、アドバ通りサブカメラ持参してよかった。

          G地中海沿岸の高速道路

どこまでも険しいアッウプダウンが続く地中海北岸の高速道路ですが、こんな景色とは想像できませんでした。
     H モナコの地下駐車場

小さくとも一国ですからゲートが設けられ、バスに乗ったまま形式的な入国手続きをすませる。 海岸まで一旦下り地下駐車場からエレベータで再度市街地まで上ります。
左、運転手、次が同行の添乗員さんですが、ぬかりなくしっかり者。

I宮殿広場から見たモナコ港。

地中海中の金持ちが富豪のヨットで遊びに寄港しているそうです。
海岸の架設ステージはまもなく開催の有名なモナコグランプリレースの臨時施設はるか向こうの風景はイタリア北部地方。            この日は曇天で海の色は気に入りません。
   J路上に無造作に放置の駐車違反の高級車。

何台かの高級車も無造作に駐車。
1台幾らですか?。  
価値が分かるのか、驚く日本人観光客。
預金が1億位なけれは市民になれないとか。
 うらやましい限り・・ 。
 
K昔、城を守った宮殿の臼砲

普通崖下には撃てないので、真上に打ち上げ曲線を描いて落下させるのが臼砲で、口径だけなら戦艦大和クラス有りそう?
L競技を控えた1レースのスタートライン付近。

   少し左の外れのトンネル上にプロテニスの伊達公子さんが住んでるマンションがあるそうです。   
M王様とグレースケリーが眠る教会

王妃の自損事故で亡くなっだそうですが、
息子は今だ独身で遊び呆けているらしい。

Nモナコ公国の宮殿

護衛隊は昔から忠実なスイス人しか雇わないそうですが、他国と戦争になればスイス人同士の戦いになることもあったらしい
Oグレースケリーの棺

教会床には王様と並んで床に埋葬されていました。
Pモナコ公国を眺められるビューポイント  
 
小さな国ですから、見える範囲がすべてです。
      Q  エズの香水工場 

モナコの西側で崖上、この地方は地中海性気候だが、雨が多く色んな植物が育ち、昔から花から香水を採取。 
日本人女性従業員も何人か見られた。   お土産は香水か香りの良い石鹸がお勧め。

R鷹巣砦からの眺め

昔、海賊が横行した頃の見張所のなごりだとか。
Sニース市街地

2日目のホテル付近で裏通りは古い建物が多かった。
21ニース海岸通り

水泳にはまだ早いが、日光浴やジョギングして楽しんでいたが、そんな休暇を過ごしたい。のんびりできてうらやましい限りです。
22 ニースの裏通り

古びた建物に朝日があたり、コントラスが面白い、写真撮りには良い場所です。
でも夜は薄暗く怖いかも・・・。
23 朝から喫茶店でたむろしていたおっさん

 隣のポスターをまねしたのかな・・・、もちろん撮影はOKです

24 ニース海岸裏の市場風景

最初は赤いので乾燥トマトかと思ったが、乾燥ピーマン専門店のようです。 安くてお土産に買ったがまずかった。
25 ニース港

世界中の富豪達がここにも寄港。
宮崎駿のアニメの「紅の豚」の空賊のたまり場のようでアドリア海の「紅の豚」のシーンを想像してしました。
26 眺めた角度は違うが。

あの画家の セザンヌがお気に入りの山で生涯に数十回も描いたと言う。

     
27マルセイユの 海岸通りの教会

名前はわかりませんが立派な教会でした
28 マルセイユの海岸通りの喫茶店?

今日は日曜日で大勢が何となく寛いでいました。

29 世界遺産マルセイユ旧港

写真撮影には良いところで、何故か南米のインデオが大勢で野外ライブをやっていましたが、最後にお土産を売っていました
   
30 跳ね橋

ゴッホも描いたアルル地方の跳ね橋で、なんだか絵よりはかに小ぶりに見えた?
31 ゴッホが入院していた精神病院

前の広場の喫茶店はゴッホの作品でも有名です
32 世界遺産 アルル地方の古代遺跡群の一部 

円形競技場も有りローマ時代は栄えていた様です。
     
33 世界遺産 ポンデュガールの水道橋

紀元前に作られたが、ローマ人は土木技術に優れ、65km先から落差25mで導水水路施工されたのは驚異的だとか最近の異常気象の水害で一部壊れて補修中でした
34 世界遺産 サン・ベネゼ橋

橋の上で踊る「フランスの民謡」で有名な橋ですが、昔、水害で左端が壊れたまま永年放置されているだけの事ですが、水源はスイスです。
川岸の古びた豚も居たレストランで昼食、川を眺めながら良い雰囲気でした。

35  世界遺産  旧アヴィニヨン教皇宮殿

大規模な宮殿で昔はバチカンみたいに繁栄していたそうです。
もっとじっくり腰を据えて写真撮りたかった
     
36 リヨン フルヴィエールの丘の教会

リヨン旧市街は世界遺産ですが、隣接の崖の上の教会です。
 今回は宿泊しただけでしたが、一日で観光は不可能と。
パリから電車で来たら良いのでしょうね、昔絹織物で栄えて、フランス料理の発祥の地とか。 ここのチキン料理は有名です。

37 世界遺産 ブールジュのサン・エティエンヌ大聖堂

観光客は何故かまばらでしたが、素晴らしい雰囲気でしたがもっとゆっくり見たかったです。

38 世界遺産  ロワール渓谷のジュノンソー城

河の上に建てられ代々が女城主で有名
 川を通行のワイン運搬等の船から税金徴収を財源としたが、昔からごたごたが絶えなかったらしいです。
     
39 シュノンソー城の庭園

なんだか馴染みにくい公園でしたがこの形式がベツサイユ宮殿とかに採用され、一時期はヨーロッパ中で流行したらしい。
40 ブールジュの町

囲気のある水郷 
40古い トウールの市役所
     
42 世界遺産 モンサンミッセル

昔は海の干満差が大きく徒歩で海岸を渡る途中に巡礼が海に溺れたことも有ったが、今は島まで道路で繋いだので周囲に砂が貯まってしまった。
島の周りの潮通りを良くするのに近々、道路を止め橋を架けるそうです
43 最初は神父の夢枕に天使が現れた

近くの町の神父が教会を作るように「夢枕に立つ天使」に頼まれたのがきっかけで建築されたが、後世に要衝となり、たびたび戦争に巻き込まれたが、刑務所に使われた時代も有った。
大西洋に面し、ノルマンディー半島の付け根にあたる。
44 狭い通路

内部の道路は狭く、外壁は刑務所の名残で高い塀が巡らせれている。狭い通路は観光客でごったがえしていた。 
     
 45 内部は石造で暗くて、冬は凍りつきそう
46 名物オムレツ屋

ノルマンディー地方の名物でもある、名物のフワフワのオムレツで行列ができる店。 それに砂地で育つ羊は塩味がして美味く名物だとか。
47 オンフルール旧港

帰りのこの港の周辺は撮影の題材向きでじっくり構えたい 昔は公認の海賊の根拠地でも有った。
     
48 オンフルールの木造の教会

今時全木造は珍しい
4現在、フランスで一番長い吊橋

50 世界遺産 ルーアン大聖堂

広場は広いが、あまりにも高過ぎる教会で、CPカメラには収まりませんでした
     
51 ジャンヌダルク教会

彼女はこの付近の出身で、フランスを勝利に導いたが政治の圧力で火炙りの刑となる話は有名。
処刑場所は教会の裏ですが、気が弱い領主の犠牲者で、名誉回復のため後年この教会が建てられたそうです。
52セーヌ川周辺は総て世界遺産に登録

パリ観光では必ず訪れる
ートルダム寺院。
でも、フランス国中には同じ名前のノートルダム寺院は数か所も有ります

 
53 シテ島のノートルダム寺院

セーヌ川の中州に建っています。
     
54 ルーブル美術館前庭

三角形ガラスの下は地下広場の明り取りです
55ルーブル美術館

有名な絵でフランス革命を描いたとか。 平日でしたから空いていました、スリが多く同行者もザック底を切り取られたが、何を間違ったか化粧品が亡くなった。  
56 凱旋門の彫刻

階段を登れば頂上の展望台に行けます
     
57エッフェル塔 

ある期間は夜間の定刻になると一斉に照明のフラッシュ始め、珍しい体験でした。 セーヌ河畔に建つ小振りの自由の女神は直ぐ傍で、アメリカのニューヨーク港のほうがお姉さんだそうです。
58 オペラ座

閉館後でしたから玄関ホールまでしかでしか侵入出来なかった。 パリ三越の傍
            59  エッフェル塔       
パリ万博時に建てられたが、当初はすぐ壊すつもりで建てられたが、老朽で、間もなく撤去予定だそうです
 
     
60 エッフェル塔から新都心方向

持ってくるのを忘れたが、ここから垂直機(紙飛行機)を飛ばしたかったが、1時間は飛んでるかな?。
でも、町を汚したとかで逮捕されるかな?。
61 エッフェル塔から眺めたモンマルトルの丘

前回に地下鉄で訪れたが、当日このころは別動隊がオプション観光しています。
”世界町歩き”TVでやっていましたが、昔は貧しい人の葡萄畑だったそうですが、
いまでも栽培されているらしい。
62エッフェル塔から見た世界遺産のセーヌ川

こんな雰囲気の頂上から一度でいい、どこまでも飛ぶ森江モデルの垂直機の紙飛行機を飛ばしてみたい、でも「パリを汚したと言って」逮捕されそうです
次回決行の予定?。 
     
63 ベルサイユ宮殿

3度目の訪問です。 ツアーですからしかたなく同行したが、フランス革命ですべてを持ち出されたので、イギリスのウインザー城の装飾品なんかと比べるので何となく味気ないです。
        64 ベルサイユ宮殿ガラスの間 

貴族はこの広間で何を競った
のかな?・・・・
       65  ベルサイユ宮殿のフランス式庭園   

広大な無駄なスペースに思えたが
     
 66エッフェル塔の周囲を警戒の兵隊

マジな顔つきの後ろの二人はナトー軍仕様機銃の引き金に指をかけての臨戦体制でパトロールしていました。

平和ボケの私には異様に思えたが迷彩服の軍人は空港にも居ました。
でも、数年前はこんなに厳重では無かったのに・・・
67 貸自転車置き場

 市内観光は貸自転車も利用できて、指定場所ならどこでも乗り捨て自由だそうです。
       68パリ空港のコンコルド機    
 
今はA380 1000人乗りの時代ですが、当時超音速旅客機のパリ-
ニューヨーク便は有名。 燃費の悪さかからすでに引退、空港にモニュメントとして展示 してありました。 
斜めに展示するところがフランス人らしく、飛んできそうです。